駆けつけた時には、彼女は既に刀を抜いていた。
先ほど悲鳴を聞いたときからほんの数分の間に、一体何があったのか。
それでも、一瞬で気づけたことがある。

市丸の”殺気”。
彼女が殺される――――全身から、冷や汗が流れる。
間に合わない。



しかしあわやというところ、市丸と雛森との間に吉良が入った。
今日ばかりは奴に感謝する。吉良が応戦したため、市丸は一拍打つ手を止めた。
その隙に一息に飛び込んで、吉良と雛森の刀をはじく。
同時に、できる限りの殺気を放ち、市丸を牽制した。


全身全霊のつもりの殺気は、しかし望む以上に強かったらしく、
雛森と吉良の圧された顔が目に入った。
それは、俺の怒りゆえだったかもしれない。
市丸への。
そして、事態を止められなかった、俺自身への怒りで。





月の光、陽の欠片





雛森と吉良を、拘置するように命じた。
厳重に取り締まる事と、2人は離れた牢に入れることも指示しておく。
今は気圧されて放心しているが、我に返ってまた争うかもしれない。
…それに吉良は、三番隊だ。
市丸が近づけるきっかけは、少しでも減らしておくに越した事はないだろう。



それからは大変だった。
何は無くとも上への報告に、藍染の弔いの用意。
事件に関する調査と対応。
隊長が一人、副隊長が2人欠ける事態というのは実はとても深刻で、
しかも副隊長2人については、見張りまで用意しなければならない。
早急に警備状況の見直し、
動ける人員のチェックに隊長同士での調整から、末端まで通達、配備。
特に隊長死亡・副隊長拘置という異例の処遇を受けた五番隊の混乱は深刻で、
一時は彼らを抑える為にすら、人員をさかねばならなくなった。
丁度旅渦さえ来ていなければまだ何とかなったのかもしれないが…
なんてタイミングの悪さだと、悪態の一つもつきたくなる。

…否、このタイミングだからこそ、と考えるべきだろう。
けが人が出た、死人が出た。
それによって争いが起き、やむを得ずの拘置でこれまた2人。
偶然のようにして、護廷十三隊の動ける人数がどんどん減っていく。
これが誰かの策略ではないなんて事が、ありえるだろうか?

そうは思っていても、とても仕事以上のことをする時間はない。
まずは目の前に山積みになった問題を、手早く片付けるのみ。
そして心はむしろ今の事態より、拘置された少女の事から離れなかった。
今ごろ牢で一人で、どうしているだろう。



拘置の間は少なくとも、雛森は安全だ。
ついでに、少しでも落ち着いてくれたらいい。
きっと泣いているだろうと思うと、側にいられないのは口惜しかった。
今居ても、救いにはならないかもしれないが。

(それでも、話くらいは聞いてやれる)
側に行けばできることがあるだろう。そう思って、よりいっそう仕事を早く片付けた。
終わってみればなんとか夕方前。
先に目算した、半分の時間で片付ける事ができた。我ながら、上出来。

「松本、ご苦労だった。今日はもう帰って良いぞ」
補佐を担っていた副官に一言言い残して、自分が先に部屋を飛び出した。
あっけに取られる松本の顔が目に入ったが、かまっては居られない。
体裁も忘れて、牢へと駆けた。





拘置所の前には見張りの死神が居た。
どうやって話をつけようか迷う暇もなく、見張りは俺を認めると
慌てたように駆け寄ってきた。
「日番谷隊長!」
確か五番隊の下のものだったか…名前を思い出そうとしながら、問い掛ける。
「雛森副隊長はどうしている」
「はい、その…今は、静かにしておられますが、先ほどまでとても取り乱されたご様子で」
妙に焦っている様子。まるですがるようで、見張りの男は心底雛森を案じているのだと気づいた。
「話はできそうか?」
「わかりません、が、お願いします!」
頷いた途端、見張りの男の顔が目に見えてほっとした。
(…雛森は、そこまで酷い様子なのか)
中に通してくれるよう頼むと、男は鍵を差し出し
「詰め所の方におりますので」
気を利かせたのか、駆け足で去っていった。
その後姿はいつもならば好ましかっただろうが、今はただ、不安を助長させるだけだった。





そうして入った、牢の中。
目に入った雛森の姿は予想以上に悲惨で、一瞬眩暈がした。
石畳に座り込む彼女の、疲労と涙で赤く腫れた瞳。胸元まで濡れた衣。
取り乱したのか暴れたのか、髪は乱れ、手足には無数の傷さえ見えた。
たった半日会わなかっただけなのが信じられないほど、憔悴の色はあまりにも濃い。

けれどそんな中、何より胸をついたのは、そんな彼女の浮かべた表情だった。
感情の見えない様子でぼんやりと宙を見つめる姿は、まるで夢でも見ているかのようで
彼女のそれが悪夢だと、知っているからなお痛い。
否、悪夢ならまだ良かったんだ。
これは悪夢なんかじゃなく、けして目覚めぬ「現実」なのだから。



こんなにも傷ついていたんだ…今更気づくなんて。
一歩踏み込むのには勇気が要った。それでも、いつまでも見ているわけにもいかないから。
決意し扉に手をかけると、錆一つも無い格子の扉がきしんだ音を立てた。
音に気づいたのか、彼女がコチラに振り向き…しかしそれでも表情に変化がおきない。
何かを感じる事にも疲れてしまったのだろうか。儚くて、今にも消えてしまいそうな錯覚。
いつも喜怒哀楽の激しい少女だからこそ、その無表情があまりにも哀れだった。

(―――何故死んだ、藍染)
沸き立った憎悪の気持ちは、死者への冒涜だとわかっていても止められなかった。
彼女が苦しむ事を、知っていたのではないのか、藍染。
お前は慎重に生きるべきだった。お前だけは死んではならなかった。
これほど彼女を傷つけることが、何故許されるというんだ。
許せなかった。全てが腹立たしかった。
彼女を置いて逝った藍染が。
彼女を傷つけようとした、市丸が。
この運命すべてが。
…そしてなにより、彼女を救えない、自分自身が。


悔恨が胸によぎってみれば、無表情に俺を見つめる雛森の目は、
まるで俺を、責めているかのようだった。
耐え兼ねて目をそらし口を開いて…それで気づいた。言葉が出てこない。
自分は何を言うつもりで、ここに来たのだったか。
慰めたかった?支えたかった?そんな想いの、全てが陳腐に思えてくる。
自分に何ができるつもりだったのだろう。
この彼女の姿を見てなお、何かができるとは到底いえなかった。
儚くて、今にも消えてしまうのではないかと錯覚するほどに、
弱ってしまった彼女。それは俺の恐れが見せる、妄想に過ぎないとわかっていても。

大体彼女をココまで傷つけたのは―――その一端は俺にも有るのだ。
気づいていたのにも関わらず、止められなかったのだから。





傷つけて更に守れなくて、救えなくて。
それでも、逃げ出したいほどに自分が許せなくても、
俺はその場から立ち去れなかった。
表情をなくした少女の、色の無い瞳は生きているようにすら見えず、
自分の錯覚が真実になることを俺は恐れた。
引き止めなければ。でも何を言ったらいい。
彼女の為の言葉が出ない。言ってあげられる言葉なんてない。
だけれどせめて、伝えなければ。

自分を鼓舞し、ようやくうめくように吐き出したのは
ただ彼女を呼ぶだけの言葉。
「……雛森」
どうかどうか、俺を見てくれ。俺の知らない場所へ行かないでくれ。
こんなに情けない俺だけど、それでもお前に居てほしいと思っているんだ――――雛森…!






声は自分で驚くほどに、かすれていた。
祈りが、通じたのだろうか。ふいに雛森の目に光が戻った。
瞳に俺が映り、そうして見る見るうちに、涙で覆われる。
急に飛びついてきた雛森を支えかねて、俺はたたらを踏み床に腰をついた。
こんなときまで情けない…舌打ちをしそうになりながら、
それでも彼女が動いてくれたことに、俺はほっとしていた。
よかった。彼女は消えずに戻ってきた。そうして今は、俺の側にいる。
ぬくもりを確かめるように背に手を回せば、彼女のしがみついてくる力も強くなった。
心ごと縫い付けるように強く抱きしめる…床の冷たさなど忘れるほど、
それは温かく、俺の恐怖と緊張を溶かしていった。

泣くならたくさん泣けばいい。泣いてくれないよりずっといい。
お前が涙全部出しちまうまで、俺は側にいてやるからな。








気づけば雛森は、腕の中で寝息を立てていた。
窓の外は焼けるような紅い空、事件の始まりから考えて、半日以上経っている。
そのほとんどを泣いて過ごした雛森は、さぞかし疲れていたんだろう。
手櫛で髪を整えてやると、甘えるように、俺の上着を握り締めた。
(まるで子供だな…)
無意識に考えた自分の思考がおかしくて、笑ってしまう。
…笑えるくらいには、俺も気を取り直したということか。
我ながら、現金な奴だ。


つかまれたままの上着を床にしいて、雛森を寝かせてやった。
もう一度頭をなでると、彼女が小さくつぶやくのが聞こえた。
「…いぜ………ちょ…」
何を言ったかわかってしまって、瞬間胸に痛みが走る。
だけど俺は、それをあえて無視した。
――――いいさ、それでも。
俺はお前に、ここに居てほしいだけなんだから。
何を想い、何を糧に生きていくんだって、かまわないさ。



けれどせめて。
起きたときに、雛森が笑ってくれたらいいなと思った。
何故だか無性に、彼女の笑顔が見たかった。
いつもどおりには行かなくても、無理しての笑顔でもいいから。
もし見られたら…そうしたら俺は、もうなんだってしてやるよ。
希代の天才児、俺が言うんだから間違いない。
今度こそ守ってみせる。
できることはなんでもしてやる…だから、お前は、笑っていてくれ。
そうでなきゃ俺のほうこそ、おかしくなっちまう。










起きるのを待っていたいのに、雛森のやつ、すっかり眠りこけている。
窓の外はもう完全に暗くて、今から遠路家に帰ることを考えるとうんざりした。
(つうか上着取られたし。隊長専用の上着なんだぞ…。ったく)
もうこのまま、ここに泊まってやろうかな。
おきた時俺が隣にいたら、雛森はどんな顔をするだろう?
想像するとなんだかおかしかった。うん、それは悪くない。

でもこいつが起きる前に誰かに見つかったら困るな。
一応コイツ今、拘置されてるんだし。
噂は大いに結構だが、俺にも立場ってもんがある。



少し悩んで俺が出した結論は、今日のところはひみつにしておく。
人生、わからないままの方が、面白いこともあるだろう?







コメント 「空に溶け行く〜」の日番谷視点バージョン。
後半部分を一度掲示板で発表させていただいているんですが、
前半も追加した完全版(?)です。
桃ちゃんバージョンに比べて、妄想度アップです。いちゃつき度もアップ!!
総じてツッコミ箇所も大幅アップ!!(ダメ

日番谷くんが消えてしまいそうだと感じたのは、きっと桃ちゃんの心だったのだと思います。
人を癒すような言葉って簡単には出ないけど、必死の思いは伝わるものだと思いたいです。
そんな感じで書きました。つたわらねー……。
ところで、この後どうなったのか(翌朝の話)はご想像にお任せします(笑)


二本続けて片恋話だったので、
次はあまあまらぶらぶなのが書きたいですね〜〜☆
でも絵と違ってSSでラブラブって書いたことない!どうしましょう!
update:2003/09/15
written:水明 梨良(りーら)
site:nothing