色づく心の奥底に
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夕日が空に色を落とし、薄曇りの青を次第に暖かな橙に染める夕暮れ。
日が落ちる間際、空気も肌寒くなってくる時間帯。
「雛森」
呼ぶ声に振り返るあたしの視界には小柄な身体さながらに立派な刀を背負うその姿。あんまり思い描いてたままに現れたものだから、あたしは小さく笑ってしまった。聞き咎めた日番谷くんが怪訝そうに眉を寄せる。
「何笑ってんだよ」
「だって本当に来るんだもん」
「あ?」
草の上に座り込んでいるあたしは両膝を抱え直して、彼を見上げて今度はしっかりと笑う。
「日番谷くんが来てくれるかなぁって思ってから、なんか嬉しくなっちゃった」
「…何言ってんだか」
目を逸らして軽く首筋を掻く、その仕草が照れ隠しだってことはもうずっと前から知ってる。肩を震わせて笑うあたしに「笑いすぎだ」って軽くコツンと頭を叩くと、日が落ちる山際に緩く目を向けた。夕焼けの色に溶けて、日番谷くんの瞳の奥、深い碧が柔らかさを増す。ぼんやりとそれを眺めるあたしに気付いて、日番谷くんは何処となく手持ち無沙汰で視線を泳がせた。あ、また照れてる。
「で、何やってんだよこんなとこで。さっきから藍染とか吉良とかがやたら血眼になって探してるぜ」
「あれ、あたし何か残してた仕事あったかなぁ?全部終わらせてたと思ったんだけど」
「じゃなくて、ただ日暮れ時にお前の姿が見えないのが不安なんだろ、あいつらは」
過保護なんだよな、と素っ気なくポツリ呟く。
うん、そうだよね。みんなあたしには凄く優しくて、甘いと思う。
でもね、きっと一番過保護なのは日番谷くんなんだよ。
判ってるのかなぁ。
「今日ね、あたし任務あったんだ」
「?だから何だよ」
死神なら当たり前のことだ、と言わんばかりに目を瞬かせる日番谷くんを他所に、あたしは夕日が姿を隠そうとするその通り道を目で追う。
綺麗で、でも何処か寂しくなる、そんな夕焼け。
あの時とおんなじ色。
日番谷くんは、覚えてないかな。
「雛森」
「…日番谷、くん」
蹲るあたしが顔を上げると、日番谷くんは僅かに眉を寄せた。それがあたしが泣いていたからだって気付いたのは少し後のこと。その時のあたしは涙が零れていることすら構わずにいた。ただ心を支配していたのは、たとえようもない恐怖感だけで。
統学院の卒業試験、対虚を想定した真剣を使った実戦演習。あたしは怖いくらいに綺麗に輝く刃を前に、それを手にする力を失った。汗ばんだ手がカタカタと震えて、他の生徒のざわめきも耳に入らないくらい、怯えきっていた。
「…握れません、あたし…怖い、です」
か細いあたしの声にどよめきが走る中、日番谷くんだけが真っ直ぐにあたしを見ていた。
それが視界には入っていたけれど、あたしは目を合わせられなかった。
その場から逃げ出したあたしを追ってきた日番谷くんは、涙目のあたしに鎮痛な表情を浮かべたのも束の間、首筋を掻いて息をつく。
「…情けねぇ顔」
「うるさいなぁっ…意地悪言うために追ってきたんだったら、もう戻ってよぅ」
一回袖で目元を拭った後、しゃくり上げる声でそう呟いて目を逸らす。
けれど遠ざかる気配はなく、小さく息を吐く音があたしの耳元を掠めた。
「とにかく戻って試験受けるだけでもしとけよ。今回の単位落としたらやばいぜ、卒業」
「…いいよ。どうせあたし、死神になんかなれっこないもん」
ほとんど八つ当たりだったと思う。
あたしの言い方は明らかに棘を含んでて、可愛くなくて。
でもそれでも日番谷くんは踵を返さなかった。
足音の代わりに聞こえたのは隣に座り込む、草の葉が擦れる音。
夕暮れが近づいて、辺り一面を彩る緑の葉が色を変える。
「…戻らないの?」
「戻らないんだろ」
反芻する言葉尻にチラリと視線を流す。
空を彩る夕日の色は本当に綺麗で、でもこの時のあたしには酷く寂しいものに見えた。
死神になることを自ら志願しながらも、刀を取ることを躊躇う。
そんな情けないあたしを深い闇に埋めていく、その前触れのような気がして。
あたたかい筈の日の色も、ただ怖かった。
「あたしが死神になろうだなんて…甘かったのかな」
独り言みたいに零したあたしの言葉に日番谷くんが目線を流す。でも相変わらずあたしは彼の顔を見れなくて、両膝を抱えた腕の力を強めてそこに顔を伏せた。ぎゅっと固く、殻に閉じこもるように他を拒絶する。
「…日番谷くんは、怖くないの?」
刀を握ることが。生きている相手を斬り付けることが。
たとえ相手が理性を失った化物とはいえ、元はあたしたちとも変わりない、きっと何かに幸せを見出していた筈のその存在に躊躇いなく刃を向けることが。
あたしにはどうしても、出来ない。
「怖くても、誰かがやんねぇと救われないってんなら、やるしかねぇだろ」
その声はいつもと同じ、ぶっきらぼうで気遣いの欠片も見えなくて。
けれどそれは疑う余地もなく本心からの答え。
真っ直ぐに返って来た日番谷くんのその声にあたしは即座に返す言葉がなくて、ただ夕焼けの色に揺らぐ、その瞳を見つめるだけ。
「そっか…。あたしも日番谷くんみたいに強かったら、こんなに悩まなくてすんだのかな」
「そのままでいろよ」
「え?」
「お前は変わろうとすんな」
あんまり当たり前みたいにそんなことを言うから、あたしは思わずポカンと目を丸くした。
多分かなり、間の抜けた顔してたと思う。
「そ、そのままでって、だって今あたし、刀も握れないし、戦うことを怖がる死神なんて…いないよ」
「けど俺なら、そういう奴に救ってもらいたいと思うぜ」
返って来た言葉はあたしを驚かせるのに充分で、ただ目を見開いて夕焼け色に染まるその横顔を見つめる。日番谷くんはあたしの方じゃなく、日が落ちる山間に目を向けていたけれど。片膝を立てて頬杖をついて何でもないフリをして、言葉を紡ぐ。
「誰だって自分の痛みを判ってくれる奴に救われたいだろ。…だからそのままでいいんだよ、お前は」
「日番谷くん…あ、あたし」
「とにかく」
ぺちっ、指の先で軽く額を小突かれて、ふぇっと小さく声を上げたあたしを横目に、日番谷くんは立ち上がって肩で息をついた。
「試験受けに行くぜ、雛森」
差し出された目の前の手と、少し照れくさそうに顔を背けるその姿を交互に見やって、あたしはまだ頬に残っていた涙の跡を袖で拭った。
ゆっくりと乗せた手の平はあたたかくて、肌に当たる夕日の色がその日初めて優しいものに見えた。
「…ありがとう、日番谷くん」
手を引かれて試験会場に戻る最中、その背中に向かってポツリと呟いたあたしの言葉に、日番谷くんは振り返ることなく、ただ小さく「別に」って返すだけだった。
目も合わせないのに何故かその声が嬉しくて、違う涙が出そうになったのを覚えてる。
「あれからあたし、任務の後には必ずここからの夕焼けを見ることにしてるんだ」
「…あ、そ」
んなこと良く覚えてんな、って日番谷くんの声に笑う。
覚えてるよ。
だってあの時の日番谷くんの言葉がなかったら、きっと今死神として此処に居るあたしはなかった。
今ではもう、刀も握れる。斬ることも出来る。
躊躇いから来る動揺に手元を狂わせることも、滅多にない。
それでも心はあの頃のまま。
ただ斬るだけじゃない、哀しみや痛みの判る死神でいたいって思ってる。
"そのままでいろよ"
日番谷くんがそう言ってくれたから。
あたしのままで。
そのままのあたしでいいよって、そう言ってくれたから。
だから、心を挫くことなくこうしていられるんだよ。
弱い自分ごと呑み込まれてしまいそうで怖かった夕暮れの空の色も、今見上げるとこんなにも優しくて、あたたかくて。今ではどの時間の空より、この色が一番好き。
「…ま、とにかく早く戻れよ。吉良はともかく藍染には何処に居るかくらい言っとけ」
「日番谷くん」
「あん?」
笑顔で手を差し出すあたしを見下げて僅かに顔を崩す。
「…何だよ、この手」
「立ち上がらせて欲しいなーって」
「はぁ?」
へへ、と屈託なく笑うあたしに日番谷くんは呆気にとられた顔をして、その後小さく目を逸らす。
深く溜息をついて肩を落として、いかにもしょうがないって風情で手を差し出した。
「ったく…ガキかよ、お前」
あの頃より少し大きくなったかな。
日番谷くんの手は、それでも重ねるとあの頃と同じあたたかさ。
調子に乗ってぎゅうっと力を入れて握り締めると「オイ」って諌める声がした。
「ありがとう」
「探しに来たんじゃねぇよ俺は。ふらついてたらたまたま雛森がここに居ただけだ」
「そのことじゃなくて、色々」
「?何だそれ」
肩越しに振り返って首を傾げる碧の瞳にあたしは口元を緩めて笑った。
「へへ、何でもなーい」
「…変なヤツ」
戻る足をふいに止めて、振り返る。
淡い橙色が空向こうまで広がり、次第に夜を連れてくる。
「雛森!早く来いって」
「もぉっ、判ってるよー」
素っ気なくて不器用で、でも誰より優しい声が耳を打つ。
それはどんな日の色よりあたたかく、あたしの心に色づいてる。
空を彩る夕暮れを背に、立ち上がる力をくれた。
あの日からずっと、この、心の中に。
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コメント |
捏造たっぷりで無駄に長くなりましたが…全体的に夕暮れの色だけは情景として忘れないようにと意識してます(多分)
書き終ってみれば見事に雛→日っぽくて自分でビックリです。
二人がらしくないとかいう苦情はドウゾ個人的にメールで…(うぅっ)
とにもかくにも、読んで下さって有難うございました! |
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written:水樹
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