ここ数日、強くもなく、けれど止む事のない雪が外の世界を白く染めていく。
視線を巡らせばこんなにも簡単に目に映るそれとは程遠く、姿が視界に映らなくなってから一体幾日の時が過ぎただろうか。それすらも解らない。

昔と違って確実に距離が出来て、今ではもう傍に居ることの方が珍しくて。
遠くなる存在に寂しいとか辛いとか、そんな情けないことは言わない。
子供じみた感情に捉われて地団駄を踏む程、幼くもない。

けれどじゃあ何故、視界の端に掠めもしないその事実がこんなにも深く胸を貫くのか。
どうして今こんなにも、会いたいと思うのか。






覆う雪より近くに






ヒラリ、一面真っ白な雪景色の中、案内役の地獄蝶がその一点に黒を添える。
魂葬を終え、帰り着いた冬獅郎がひとつ息を吐くと、口元が白い靄に包まれた。死神たちが住まう瀞霊廷はもうすっかり白く埋もれ、それでもまだ飽き足らないと言わんばかりに今を以って尚降る雪の粒は粉雪に近い。薄い白い羽織が大した防寒にはならないのは明白で、死覇装の袖越しに一度自身の腕を擦る。緩く顔を上げた先には薄曇の空に淡く光る白い月。
「結局夜になっちまったか」
予定ではもう少し早く戻るつもりだったんだけど、と一人ごちると、碧の瞳が僅かに揺らぐ。
「…まぁ別にどうせ、誰が待ってるわけでもねぇしな」
早く戻ったところで誰に会えるわけでもない。

そう、会えないんだ。

ここ数日でそんなことを悟りきって、ふと気付くとこんなにも自虐的に自分を追い詰めてる。
ふわふわと何処か頼りな気で、放っておけない気にさせるあの空気に触れることもない。
もしかしたら避けられてるんじゃないかと思う程に。

誰かに会えない、ただそれだけで弱くなる自分など認めたくなくて。
けれどここ数日、訳もなく奥底で確実に増す苛立ちの理由は誤魔化すことなど出来ないほど、明らかにその所為で。

(…いや、「誰か」じゃねぇか)

そう言い訳のように言い直して冷え切った心の内で思い描くのは―


思考に気を取られたままぼんやりと目を向けた先、木の幹に凭れ掛かかる人影がひとつ。
両手で口元を覆って寒さから逃れるように肩を縮ませる横顔が雪混じりで淡く見える。
「――…なん…」
何で此処に、と零すより早く足を止めた冬獅郎に気付いた当人は何のてらいもなく、笑って、
「日番谷くん!」
そう名前を呼んで、預けていた背中を離した。
たった今、本当に今さっきまで描いていた笑顔そのままに。
駆けてくる桃の足取りは雪に足を取られてかいつも以上に遅くて、さくさくと踏みしめる音が静かな雪夜に響き渡る。たどたどしい足音も手を差し伸べたくなる感情もあんまり久しぶりすぎて、どう反応すればいいのか解らない。
「雛森、お前…」
ようやく口に出来た名前を噛み締めるように呟くと、続きを遮る桃は満面の笑顔。
「お帰りなさい!」
「…は?」
「任務だったんだよね?どうだった?…なんて、日番谷くんの手に余る任務なんてそうそうないかっ」
小首を傾げる可愛らしい仕草に見蕩れるより、冬獅郎は訳が解らないとばかりに顔を顰める。
それを受けた桃は肩を竦めて、あのね、と言い換える。
「日番谷くんの次の任務いつですかって乱菊さんに聞いたの。そうしたら今日の夕刻だって教えてくれてね、待ってたの。びっくりした?したでしょー?」
「そりゃ当たり前…いや、っていうか、何で待って」
「出迎えてもらえると嬉しくない?あたしがそうだから日番谷くんもそうかなぁって…」
たったそれだけの為に?どうしてわざわざ今日、こんなに急に。
そんな疑問を口には出さず胸中で思うと同時に何処と無く歯切れの悪い語尾に眉を潜める。
と、それに気付いてか桃は観念したように眉を下げて苦笑する。
声を出す度に吐く息の白さが、眩しい。
「…っていうのは口実!ホントはね…ただ会いたかったから。だから、待ってたの」
気恥ずかしさからか俯きがちに小さく微笑む口元に釘付けになる。
うっすらと朱色に染まる頬と照れ混じりで小さく逸らす藍色の瞳を前に、冬獅郎は口を噤んだ。

いや、何も言えなかった。言える訳がない。
告げられた言葉の全ては、くだらないプライドで抱え込んでいた自分の気持ちそのものだったから。

しんしんと降り注ぐ雪は本当に淡い、霧のようにも見えて。
そんな中、桃の細い身体を包む黒い死覇装がやけに鮮やかに目に映る。
紡がれる柔らかな声は鼓膜を優しく刺激して心地良い。

「最近全然会えなかったでしょ?日番谷くんは気にしてなかったかもしれないけど…あたしはやっぱりちょっと…寂しかった。日番谷くんは隊長さんだし、あたしとは隊も違うし、当たり前なのかもしれないけど」

それでも、それを当たり前の日常にはしたくなくて。
出来ることなら一日一回でも、その姿が見たくて。

「だから、待ち伏せちゃった。これなら絶対会えるって思って」
「…莫迦みてぇ」
「あっ、もう!またそういうこと言う…どうせ単純で莫迦だもん」
「お前じゃねぇよ」
「え?」
つまらない意地で動こうとしなかった自分を優しく責めるような言葉の羅列に緩む口元を押さえる。

顔を伏せて首筋を軽く掻く仕草はずっと前からの冬獅郎のクセで、それを目に留めるのも何日ぶり。
それだけで嬉しくなる自分に気付いて、途端顔を赤らめた桃は誤魔化すようにやたら明るい声を出して勢いのままに手を差し出す。
「そ、そうだ!寒かったでしょ?この時間だと現世も夜だもんね」
ほら、手も冷たい、と言おうと伸ばした手が冬獅郎の指を掠めると、
「あっ…」
慌てて手を引いて両手を後ろに隠した。
えへへ、と空笑う様子に眉を寄せてほんの僅か触れた指先と、逃げるように隠す桃の手を目で追う。
そのあからさまな素振りがどんな意味を持つのか気付かない程、冬獅郎は鈍くなかった。
「…雛森、お前手ェ貸してみろ」
「えっ、な、何で?」
「何でじゃねぇよ、いいから貸せ」
「い、いい!大丈夫!」
「何が大丈夫なんだよ」
ほんの一瞬でも、ヒヤリと悴んだ指先にその理由が思い当たらない訳もなく。
「…お前、いつから此処で待ってた?」
自分よりずっと体温を奪われて冷えた手は、この雪と夜風に延々晒されていた証拠。

―今日の夕刻だって教えてくれたから―

何時戻ってくるか解らない自分を、雪降る中、もしかしたら日暮れ時からずっと。

「た、たいしたことないよ?えっと、ほんの三十分前くらいかなぁ」
「バレバレの嘘つくな、阿呆」
「あぅ…」
容赦ない追及に困り顔で、それでも頬は赤らんでいる。
至近距離から逃げるように一歩後ろに下がろうと上げた足は、無情にもまっさらな雪にとられて滑った。
「ひゃあ!」
「!雛も……」
り、と驚くがままに手を伸ばすが時既に遅し。
尻餅をついて情けない格好のまま「痛い、冷たい〜」とぼやく姿を見下ろす冬獅郎は呆れ半分。
「なぁにやってんだ。相変らずどんくせぇ奴」
溜息混じりの言葉に頬を膨らませて反論しようと顔を上げた桃は、目の前に差し出された手にタイミングを失う。
「とっとと立てよ」
「う、うん。ありがと…」
条件反射で重ねた手の温もりに、桃はしまったとばかりに口を開けて唖然とする。
別に策略でも何でもなかったけれど、ようやく触れられた手はやっぱり自分より冷たくて。
一体何時から待っていたのか、それを聞くことすら躊躇われるほどに。
「…本当、莫迦だな」
「誰が?」
「お前が」
「さっきはあたしじゃないって言ったのに…」
拗ね気味にぼやく桃に視線を落として緩く笑う。
「今はお前」
ぎゅっと握り締めた手に力を入れると、不思議に思った桃が立ち上がりかけた状態で顔を上げる。
と、ゆっくりと額に落ちたのは柔らかな唇の感触。
「ひ、日番谷く…」
耳まで赤くなる桃を他所に、額から離した唇をずらして今度は瞼に口付けを落とす。
「っ…」
思わずきつく目を瞑って握り締められた手がほんの僅か汗ばむ。気付かれてしまわないかと高鳴る胸を押さえる反面、瞼から頬に、耳元に、次々寄せられる口付けがあんまり温かくて泣きそうだった。

一連の動作はゆっくりと慈しむようで、それはまるで逢えなかった数日間の距離を取り戻そうとするようにも思えた。立ち上がる機会を逃した桃が雪の上についた両膝は少しずつ冷たくなっていたけれど。それ以上に手と、それから身体の端々が熱を帯びて熱く、寒さなど感じなかった。



「そろそろ詰所に戻るか」
腕に力を入れて改めて桃を立ち上がらせた冬獅郎のその言葉に、未だ戻らない火照った顔を押さえる桃が、
「えっ、もう?」
即答で零すその顔は明らかに不満そうで、冬獅郎は思わず目を瞬かせた。
そのすぐ後に息をひとつついて苦笑する。
「こんなとこで立ち話してたら風邪引くのがオチだろ。…戻ろうぜ、雛森」
身体の冷えない場所で二人で話そう、そんな意味を含めた優しい声色。
今度は同じ、いや、少し低い視点から手が差し出されて、舞い散る雪がその体温に触れて溶けていく。
その言葉にパッと目を輝かせる桃は雪に反射する月明りより明るくて柔らかい。
「うんっ!」
ぎゅっと握り返された温もりにほんの少し、気付かれないように笑う。


雪で囲われた夜道、月明りを頼りに歩く二人のやり取りは数日の距離を感じさせない程、いつもの会話。

「…冷てぇ、やっぱお前握るな離れろ」
「あぁっ、ひどーい!何それ!ぜーったい嫌ですー!」
振り解こうとする冬獅郎の片手を両手で強く握って飛びつく桃の駄々っ子のような台詞に、振り返り気味で眉を寄せる。
「おいコラ!…ガキかよ、お前」
「どーせあたしは子供ですよーっだ!絶対離してあげないんだからっ」
ぎゅう、と抱えるように持っていかれる右手を追うと、嬉しそうな笑顔とかち合って思わず目を逸らした。
「…ったく」
「ね、ねっ、日番谷くん」
「何だよ」
「今日はさ、夜が明けるまで一緒に居ようね?」


白い月明りが細くなっても。
周囲を白銀に染めるこの雪が溶けても。
重なり合う手で、熱で、冷えた身体に温もりが戻っても。


「…ああ」


見渡す限り続く雪景色よりも真っ先に瞳の奥に映るのが互いの姿になるくらい、近くに。
ずっと一緒に。

せめてこの夜が明けるまでは。



文:水樹[SKY SCOPE]
絵:ワカヤ時緒[UN Fanta]

・あとがき・

ワカヤさんに我侭を言いまして…何と雪見月でもコラボをさせて頂きました(多謝…!!)
文章の方はとにかく雪の冷たさと互いの温かさと、あとは…「逢いたい」と願う二人の心情を軸に。
まったり甘々を目指して。ポイントはワカヤさんにも気に入って頂けたラストのじゃれあいでしょうかv
素敵絵に少しでも釣り合っている文章になっていればと願います(切実)
お付き合い頂いたワカヤさんと、読んで下さった皆様へ感謝を込めて。有難うございました。
(by 水樹)

雪見月でもコラボをさせて頂ける…!という事で水樹さんの文章に挿絵を描かせて頂きました。
水樹さんに恐れ多くも我侭を言ったのは私なのですが…うぅ有難うございますvv
ラストのじゃれあいシーンが大好きでして、二人らしさが出ていれば良いなぁと。
雪の中の雰囲気や、寒いけれど二人だからこその暖かさを感じて頂けたら幸いです。
こんな素敵文章に私の絵の挿絵で良いのだろうかと思いつつ…、本当に有難うございました!(ぺこり)
(by ワカヤ時緒)