「…ふぅ」 深い闇に包まれた周囲に人の気配はなく、斬魄刀を鞘に収める桃を照らし出す月明りだけがその存在を認めるかのよう。 無事に任務も終了して、ホッと息をついたその瞬間。 突如解放された激しい霊圧に見舞われた桃はその前触れのなさに胸を押さえて蹲った。 「っ…!」 ともすれば押し潰されるかと思える程の霊圧は重く、並の死神ならその衝撃だけで痙攣を起こしてもおかしくは無い。けれど流石は護廷十三隊五番隊副隊長とも言うべきか、その可愛らしい外見とは裏腹に桃は実力ある名目に相応しく、それを受けて尚意識を失うことはない。しかしそれでも重圧は相当なもので、ゆっくり立ち上がりながら空を仰いで出処を探る。 「凄い…この圧迫感って隊長クラスじゃ…」 誰かが魂葬に降りて来てるのだろうか。 誰に告げるわけでもなくポツリと呟いた桃は落ち着いた身で改めて感じるその力に目を瞠った。 それは普段よりずっと解き放たれているものの、普段から良く知っている、知りすぎているもの。 突然当てられて気付かなかったのが悔しく思えるくらいの相手。 「―日番谷くんだ…!」 痛み無き刃の如く 「ちっ…浅いか」 小さく舌打ちをしながらザッと地面に足をつけて擦る。焦った様子もないその右肩からは赤い鮮血が流れ伝う。かなりの深手と見て取れるがそれを表に出さないのは余裕があるからか、その性格の所為か。 冬獅郎が眼前に対峙しているのは彼よりも遥かに大きく異色な身体を持つ虚で、その中でも特に知能を身に付けた部類のもの。ただ闇雲に向かってくるだけのそれとは違い、話もする、頭も回る。大層なものだが当然それを褒め称える気になれるわけもない。 必要以上に巨大な歯列の間から漏らす声と共に吐き出されるのは独特な異臭。 重々しい体躯が月明りに映し出されると、畏怖を兼ね備えた笑みを浮かべた。 『お主、強いな。そこらの雑魚死神の比ではない』 「よく言うぜ」 誉められても嬉しくないと言わんばかりに眉を寄せて一蹴し、斬魄刀を構える。 周囲の空気が熱量を帯び、焼け爛れるかと錯覚する程の霊圧に草木が震え、葉が舞い落ちる。 斬りかかろうと足を踏みしめた、その瞬間。 「―日番谷くん!」 「!?なっ…」 「"弾け"!飛梅!」 ドン、と爆発音と共に放たれた霊力が虚を前にその威力を発揮する―はずだった。 が、虚の仮面を剥ぐその直前で分散された力が散り散りに消し飛んで、儚く空気に溶ける。 「え…っ!?」 飛梅から放った掛け値なしの力が打ち消された事実に唖然とする桃に向かってお返しだと襲い掛かるそれより早く、冬獅郎はその間に割って入り、刀で寸止めする。刀の鍔と尖った虚の爪が重なり合い拮抗するその状況において、背後の桃に声を掛ける余裕が冬獅郎にはあった。 「後ろに飛べ!雛森!」 「!」 ザッ 命令形の一言に目を覚ました桃は言われるがまま地面を蹴って後方に飛んだ。 予想以上の力に足が竦む程霊圧に慣れていないわけじゃない。 桃が飛んだコンマ何秒後に受け止めた爪を刀身を軸に滑らせて流すと、その圧力で脆い地面に深い穴が空く。自然、桃を庇うように前に立つ冬獅郎は肩越しに僅かに振り返り口を開いた。敵を前にして目を逸らすことは自殺行為に近いが、それでも油断することなく緊張感を保つ術を彼は知っていた。 「雛森、お前此処で何やってる」 「何って任務で…それより日番谷くん、あの虚って」 副隊長クラスの桃の攻撃を消し去る。それはそこらの虚とは訳が違う力を示唆していて、その疑問を含め問いかけようとした桃に応えたのは冬獅郎ではなく、 『我の力に驚いたか?驚いたな、娘。主の攻撃など我にとっては軽いものよ』 ニヤリと笑う嘲る笑みを前に不快感が増す。 それは決して自身を小馬鹿にされたからなどではなく。 「あたしは日番谷くんに聞いたの。あなたにじゃない」 凛と言い放つ強い瞳を流し見て、未だ構えを解かずやりとりを眺める冬獅郎は割り込む隙を見つけてようやく言葉を返した。 「…多分、死神を五人以上食ってる。じゃないとあの強さの説明がつかない」 言い淀んだのは桃が普通の死神以上に命のやりとりに酷く純粋で敏感だから。 五人以上というのは持論だが、その予想に恐らく間違いはない。 それを聞いた桃の霊圧が急激に上昇し、予想通りの激昂に冬獅郎は眉を寄せて嘆息し、虚は愉しげに笑んだ。時折聴こえる喉を鳴らすような音がやけに厭らしい。隊長副隊長と相対しても口元の笑みは消えず、それは余裕というより寧ろゲームを愉しんでいるといった風情。 「そう…じゃあ本当に遠慮はいらないね」 カチャリと形状を変えた斬魄刀、飛梅の柄を固く握り締めて身構える桃が冬獅郎の背後から一歩前に出ようと足を動かす、が。 「下がってろ、雛森」 「え」 片手で制した冬獅郎の背中は全てを物語っていた。 手を出すな、と暗に告げられて桃は納得いかないと表情を崩す。 「で、でも」 「煩せぇ、口出しすんな。…言う通りにしろ」 容赦なく突き刺さる言の葉は冷気を帯びるが如く、桃の心臓を叩き打つ。 瞳の碧が奥底で揺らぐ、ともすればそれは剥き出しにした牙で威嚇する狼を連想させる色。 煌々と降り注ぐ月の光が冬獅郎の斬魄刀に嘘のように鮮やかに反射する。 真っ直ぐに虚を射抜く横顔から、桃は目を逸らせずにいた。 もうほんの少しも自分の方を見ようとしない、言葉なく拒絶するような姿に心を抉られる。 冷たく聴こえる物言いは元々彼が持ち得るもので、今更それに傷を負うことなどない。 けれど突き放すような物言いはどうしても気に掛かる。 任務を邪魔された、余計な手出しが鬱陶しい。 そんな風に思わせたのだろうかと― (…そうじゃないの。ただ、あたしは) ヒラリと緩い夜風に舞う羽織の白さとは対照的に肩近くから細く流れる鮮血は酷く痛々しい。 負けるかもしれないなんて思ってない。 それでももし、ほんの僅かでも自分の手が彼の助けになるのなら。 自分の力で少しでも早くその傷口を塞ぐことが出来るなら。 そう、思っただけで。 『二人掛かりでも構わぬぞ?その方がより愉しめるやもしれん』 「黙れ。…雛森に刀は抜かせない」 シンと静まり返る夜の静寂の中、零したその言葉に桃は大きな藍色の瞳をこれでもかと見開く。 斜め後ろから相変らず目線を流すこともなく虚だけを見返す冬獅郎の横顔に釘付けになる。 「こいつの一振りに、テメェじゃ役不足だ」 「ひつ…」 真っ直ぐ放たれた冗談や誇張の欠片も見当たらない続きの言葉に、桃は襟刳りを握り締めて唇を噛み締めた。名前を呼ぶ声も形にならない程震え、瞼の裏側が知らず熱くなる。 まるでこの刀を抜くに相応しい相手が居る、と。 そう宣言するような声は痛みもなく心臓を叩く音。 「汚ねぇ腹ん中ぶちまける役目なんざ、勿体無くてさせられるか」 『言うてくれる…!』 口惜しげな歯軋りに紛れて吐き出した声から初めて笑みが消える。 「お喋りは終わりだ――いくぜ」 一呼吸置いて、言葉通りに地面を蹴り上げて向かう背を追う桃は、その場から一歩も動くことは出来なかった。柄に掛けていた手をゆっくりと離し、ただ黙って相対する眼前の光景を眺めていた。 衝撃を柄尻で受け止めて後方へ飛ばされそうになる自身の身体を抑え付ける。 まるで力を誇示するかのように切先を向けて、地面についた片膝と射抜く瞳に霊力を込めて斬りかからんとする、その動きはさながら俊敏な獣のよう。 |
ついた傷から真新しい鮮血が飛び散る激しい戦いを目前にしても、ただ見つめるだけ。 もう手は出せない。 口も挟めない。 たった一言に身体の自由が奪われる程、打ちのめされてしまったから。 「…傷口、開いちゃったね」 数十分後、魂葬を終え、地獄という異次元への門が閉じていくそれを仰ぐ冬獅郎は届いたか細い声に目を泳がせた。あれだけはっきりと突き放した事実ゆえに何処となく目が合わせ難いからか、誤魔化すように肩を竦める。 「別に…たいしたことねぇよ」 「たいしたこと、あるよ」 言い換えた桃は俯きがちに顔を伏せて零れ落ちそうになる涙を必死に塞き止めて、緩く微笑った。 思いがけない表情を前に目を瞠る冬獅郎が背中の鞘にしまい込む刀には赤い血の跡。 ―こいつの一振りにテメェじゃ役不足だ― 「あたしの一振りも日番谷くんの一振りも、おんなじだよ…?」 「同じじゃねぇよ」 迷い無く返された否定の言葉に首を傾げる間もなく、続く声。 「お前の刀はあんな奴を斬る為にあるんじゃねぇだろ」 同情の余地もない。 弄んで甚振って、命を奪うことに快楽を覚える。 そんな魂を救う為にあるわけじゃなくて。 「救ってやりたいと思う奴だけ相手にしてりゃいいんだよ。そういう奴が背負うもんを斬って解放してやることが、お前が望む死神の仕事だろ」 「で、でも、そんなの…我侭じゃない?」 「まぁな」 甘い戯言で、駄々をこねる子供の我侭かもしれない。 おざなりな慰めは言わない。 ただそれでも、覚えていて欲しいことは。 「けど…いいんだよ」 未だ涙目のまま真っ直ぐ冬獅郎を見返す桃から僅かに視線を逸らしながら、その瞳が情けなくも熱く火照る頬を捉えないようにと願う。 「俺が居る時くらい我侭言ってろ」 パタッ、 暗闇でも頬を伝う涙に気付いたのは、ほの白く掛かる月明りの所為。 「おっ、おい、ちょっ…何でそこで泣いてんだ、お前」 「だって、日番谷くんが…」 「俺が何だよ」 容赦なく心を抉り取る言葉の裏側に潜ませる想いが、あんまり優しいから。 本当に躊躇いなく突き放す人なのに。 きっとそれが出来る人なのに。 それなのにどうしてこんなに。 「どうしてそんなにあたしなんかに、優しいのかなぁ…」 鋭く尖った剥き出しの牙は触れれば痛くて、噛みつかれれば傷がつく。 それでもきっと彼のそれは、刃のないナイフのように優しいもの。 そうきっと、自分に対してだけ。 涙ぐむ桃の声は震え、けれど困ったように微笑う伏せたその顔があんまり幸せそうだったから。 冬獅郎は口にしかけた否定の言葉を飲み込んで、ポツリ、 「…雛森だからだろ」 そう呟いて、更に後押しして零れ落ちる涙から逃げるように月を仰いだ。 「好きだからだ」と。 そう告げているようにも、聴こえた。 |
・あとがき・ もう片方の創作と違い、完全に私が勝手に書いた作品にワカヤさんが絵を…!コラボ!(感涙) 「牙」=戦う彼、という構図はやはりありきたりでしょうか…とビクビク。発想と内容が貧困な気が。 でも彼の牙も雛森ちゃんに対しては傷のひとつもつかないものだといいなぁ、とか。 案の定絵に追い付いてません…っていうか背中絵カッコよすぎて!ワカヤさんのセンスにただ感動ですv 対峙する彼から牙の気配を少しでも感じて頂ければ幸いです。有難うございましたっ! (by 水樹) 「つめたい」に続いて、「牙」の方でも水樹さんとコラボさせて頂きましたーvv 戦闘描くの楽しかったですvv(笑)日番谷が戦う姿は描いてみたいと思っていたのでもうワクワクで! しかし、虚が…虚が、描いている時は物凄い楽しかったんですが怖くてどうしようかと;; うぅ、それでも日番谷だけは格好良いと思って頂ければいいなぁと思います。 そして文章と少しでも合っていればいいな…と。本当に本当に有難うございました!! (by ワカヤ時緒) |