Deja Vu




思い返すそのたびに、腹の立つことがある。
雛森桃はそうして、もうひと月ほど怒っていた。
彼女は八つ当たりのできるタイプではなかったから、気づけた者は少なかったかもしれない。
けれどけっして零ではなくて、例えば聡い彼女の上司など、
何度かそれとなく気遣ってみたりもしたものだ。…しかし。

「雛森君、少し疲れたかな?此処のところ激務だったし…一休みしようか」
声をかけた藍染にも、雛森はいつもの笑顔で応えた。
「大丈夫です、隊長。あ、でもお茶を入れましょうか?先日、またいい茶葉を頂いたんですよ」
そんな姿の何処にも不機嫌など見受けられなくて、そうなると返って話は聞きづらい。
彼女の性格からして例え真っ直ぐ聞いたとしても、語ることもしないだろう。
結局、実に穏やかに休憩時間は終わり、そして2人は仕事に戻る。



そんなある日、ついに藍染は雛森に声をかけた。
「雛森君。今日はもう、帰りなさい」
唐突な命令には、さすがの雛森も驚いた。
やっとキリがついたばかりの仕事を横目に捕らえ、それから彼女の上司を見上げる。
「……何故ですか?」
「此処のところ、君は心中穏やかでないようだね」
「え…」
気づかれていたのかと、目を見開く雛森に藍染は言った。
「君がそのことを、仕事に持ち込まないよう努力しているのはわかるよ。だけれどさすがにもうひと月だ。
 どういう類のものかは知らないが…そのままではよくない。夜もよく寝られていないのだろう?」
指摘する藍染の声は、何処までも優しい。
だがその言葉は強く、逆らう隙の欠片も無かった。
「解消してきなさい」
そうして弥生も始まる春の日の午後、雛森は仕事半ばに詰め所を出されたのだった。




「心中穏やかでない…かぁ……」
帰り道、まだ蒼い空を見上げながら雛森はつぶやいた。
指摘されて思い返せば、またふつふつと怒りが湧き上がる。
それほどに、彼女は真剣に憤慨していた。

眉を寄せて思いを馳せる。それは、ひと月も前のこと。









『食われちまえよ』

そう彼女にささやいたのは、縁も深い知己の少年だった。
彼を己の家に呼んで、ささやかな茶会を開いていたときのこと。

その少年―――日番谷冬獅郎とは、時に外で、時に互いの家で、
会ってちょっとした休日を共に楽しむ習慣があった。
雛森は彼と話をすることが、純粋に楽しい。
けして機微に富むとはいえないが、知識が深く反応は早く、打てば響くように返事がくる。
相談事には容赦の無い返答があることもあるものの、それは大抵、却って雛森自身のために為った。
喧嘩をしてしばらく離れて、それでもまた仲直りをして。
そうして少しずつ親しくなって、いまや彼の存在は掛け替えの無いものとなっていた。


(…なのに)
思い出されるのは彼の瞳。
いつの頃から彼女を映す日番谷の目が、時に酷く真剣な事に気が付いた。
わけもわからず居心地が悪くて、慌てて誤魔化してしまったこともある。
そんなことが続くうちいつのまにか、雛森はその瞳にかすかな恐れと、期待を抱くようになった。

だから、彼にささやかれた時。恐れながらも、彼女は覚悟をしたのだ。
ずっと抱いてきた感覚を、強く彼の瞳に見て。


(それなのに)
最後の最後で、彼は笑った。
『もうちょっとはしっこく逃げられないと、野生の世界では生きていけないぜ?』
そんな言葉で誤魔化して。意地の悪い笑みで。

全てが見当違いだったのだとは思わない。
言い訳などしようもなく、あのときの彼の言動は決定的だったと、雛森は思った。
それが本心でないのなら、自分はからかわれていたということになる。
(いつから、どういうつもりで…!)
期待を失うだけなら、憤慨には至らなかったかもしれない。
けれど雛森は、友情をも踏みにじられたように感じていた。

彼の本心など、わからない。それ以来、彼とはまともに話も出来ていない。
其れが余計に、雛森を苛立たせる。



考え事をしながらの徒歩はあっという間、気づけば雛森は、十番隊長宿舎の前に居た。
無意識のうちにも、此処を目指してしまったのだろう。
家に居るかはわからない。けれど、非番であることは知っている。
恐らく彼女の上司も、其れを聞いて今日を選んだのだろう。

『解消してきなさい』
そういった藍染隊長の声がよみがえった。背を押されるような気持ちで、扉を叩く。

中から返事がかえるのには、一拍もかからなかった。









扉を開いた日番谷は、あからさまに困惑の表情で彼女を見上げた。
「…雛森?今日は仕事じゃなかったのか」
「お休みを頂いてきたの。話がしたいのだけど、出られる?」
「構わんが…話…?上がるか?」
「…うん。お邪魔します」
居間へとむかう雛森を置いて、日番谷は台所へ茶を取りに戻る。
去る日番谷が、後姿で首をかしげるのが見て取れた。
それはそうだろう、約束もなく彼女が訪れたのは実に、初めてのことなのだから。


「―――で、話って?」
一口お茶を飲んで落ち着けば、雛森のほうも困らざるを得なかった。
怒っているのは確かで、この疑問は何らかの形では消化しなければならない。
例えば其れが、彼との友情の終わりでも。
しかし覚悟はあってもどう切り出せばいいのかわからず、口をついたのは無難な言葉。
「その………会うの、一ヶ月ぶりだね」
「お…おお。なかなか、休みが重ならなかったしな」
「うん。まぁでも、大体いつもこのくらいは重ならないかな」
「そうだな」
(……何してるの私………)
空回りする会話に焦る雛森。知ってか知らずか、日番谷も調子を合わせてくる。
「…というか、お前今日は出勤だっただろう。休んだのか?」
「あぁ、えぇと…途中で。早引け」
「早退?具合でも悪いのか?」
「違うけど…」
「?ちゃんと藍染の許可は取ったんだよな。何かあったのか」
日番谷の声に心配の色が浮かんで、雛森ななんだか申し訳なくなってきた。
「その…近頃寝不足で。隊長に、帰るよう指示されて」
「よほど具合でも悪そうだったのか。つらいなら帰るか?話なら、今度でもできるだろ」
気遣う日番谷に耐え兼ねて、ついに雛森は観念した。
素直に話をしなければ、きっと聞くこともできずに終わってしまう。
「違うの。今日は……話をするために早引けしたの」

日番谷は、明らかに驚いたようだった。
目を見開いて彼女を見て――それから眉をひそめる。
「藍染に言われて?どういうことだよ」
「藍染隊長は、様子のおかしい私を心配してくださっただけ。関係ないよ」
彼の不機嫌を感じ取って、雛森は一言添えた。
彼女自身は上司を尊敬していたし、実際其の事を、隠しもせずに語っていた時期もある。
だが其のうち。隊長の話をするたびに、日番谷が目を眇める事に気が付いたのだ。
人間の出来た彼のこと、不機嫌になったり言葉を制するようなことはしないけれど
其の表情からは、彼が話題を歓迎していない事が見て取れた。
だから自然に雛森は彼の前で、其の話題を選ばなくなっていった。

「あのね、聞きたい事があるの。先月会った時…日番谷くん、何を言ったか覚えている?」
切り出すと日番谷は、居心地が悪そうに姿勢を正した。
「大体は…」
「動物に例えるとって話、したよね。日番谷くんは自分で、狼だって言った。私のことは、兎だって」
「…あぁ」
「ねぇ。どうして、私をからかったの?」




その沈黙がどういう意味なのか、雛森にはわからなかった。
日番谷は何かを言いかけ、口を開き…結局何も言わず口を閉ざして。
それから、膝の上で握りこぶしを作る。視線も彼の、膝の上。
何も言わない日番谷に、雛森はだんだん哀しくすらなってきた。
彼の動作に反応して、どきどきした自分はなんだったのだろう。
緊張だってしたのに。ずっと考えていたのに。
何も言わないってことは、やっぱり図星なんじゃないの。

「酷いよ…日番谷くん」
弾かれたように顔を上げた日番谷を、睨みつけて。
「あなたにとっては大した意味の無いからかいだったのかもしれないけど。…酷いよ」
「ちが…ちがうんだ、雛森」
「何が違うの?私、あのとき、本当にどうにかされるのかと思って緊張したのに」
「そんな意味じゃ、なかったんだ」
「何が!?」
喉の奥から声と一緒に、涙までが溢れてきた。
それほどに、溜め込んだ怒りと悲しみが止められなかった。
「私、友人だって信じてた。性別とか超えた友人だと思ってた。それなのにそういうことを匂わせて、
 からかいにつかうなんて酷い。私がびっくりして、固まるのが面白かったの?本気にしてって笑ってたの!?」
「違う雛森、俺は、そんなつもりじゃ」
「じゃぁどういうつもりなのよ!私は、私は本気にしたよ!真剣に取ったよ!怖かったし、でもっ…」
続く言葉を搾り出す。此れを言えば、きっと友人関係は終わり。でも。

「日番谷くんだからって思ったのに!私は、日番谷くんならいいと思ったのに…!!」
あっけに取られる彼の瞳が、刃のように突き刺さった。
きっと彼は、私がこんな風に想っていること、想像もせずに行動していたのだろう。
自惚れは自分の失態。それでも、それらを冗談に使われるのは耐え難かった。
泣いて責めて、そうして真実を知られて軽蔑されたとしても。









重すぎる沈黙に、覚悟を決めても雛森は、顔を上げることができなかった。
そんな彼女に降る、繰り返された言葉。
「ちがう…雛森、聞いてくれ」
「聞きたくない…」
「ちがうんだ。からかったんじゃない、俺は…おれは、あのとき、逃げただけで」
「…?」
涙も忘れて顔を上げた先には、想像どおり困惑の極みにある少年の姿。
彼は心底困っていて、けれどその瞳に軽蔑の色が無い事に気がついた。
「傷つけるのが怖かったんだ」
「誰を?」
「お前以外の誰がいるんだよ」
「え?」
「いやだから、あの時」
「??」
理解ができない。きょとんと彼を見つめる雛森の姿に、日番谷はため息をついて。
「お前…わかってるんだか、わかってないんだか。わけわかんねぇ」
「日番谷くんこそ、わけがわからないよ。ちゃんと説明してよ」



「お前に………触りたかったんだ。でも、傷つけるのが怖かった。嫌われるのも怖かった」
そう語る日番谷の声は淡々としていて、だから雛森は落ち着いたまま。
ただぼんやりと、やたら恥ずかしいことを言われているな、なんて思っていた。
「私、傷つかないよ」
「そんなこと、俺にはわからなかった」
彼の瞳が彼女を見る。真摯な瞳はいつかどこかで見た風。
否、いつも彼の瞳にあるものに、彼女はずっと前から気づいていた。
「こんなふうに、別の意味で傷つけるなんて考えてもいなかった…ごめんな」
「…ううん」
「なぁ、雛森」
「うん?」
「触っても…いいか?」
聞いた日番谷に、雛森は黙って頷いた。






恐る恐る、といった風情で伸ばされた手が背に触れる。
瞬間からだが震えたけれど彼は其れを黙殺し、
ゆっくりと抱き寄せられて、雛森は逆らわずに身を任せた。
緩慢な動作に比べて響く自分の心臓は早鐘のよう、それでも彼の胸に収まると
不思議な安心感が込み上げてきて。
(あったかい)
そう思える自分が、幸せだと感じた。
いままで十分幸せな人生だと思って生きてきたはずなのに、
幸せなど何も知らなかったような気すらしてくるから、不思議。
こんなにもやわらかな気持ちがあるなんて。

そう思った途端、かすれた声でつぶやくのが聞こえた。
「やわらけ……」
見上げれば、其れに気づいて照れたように笑みを浮かべる蒼碧の瞳。
言い訳のように、彼がささやく。
「……や……お前、やわらかくって。吃驚した」
「え、そうかな…別に、普通だよ」
「普通か…?なんか、わたがしでも抱いてるみてぇ。力入れたら壊れちまいそうで怖い」
言うとおり彼の腕は本当に添えられた程度で。
だから雛森は少しだけ考えて、応えた。

「…日番谷くんなら、こわしてもいいよ」

実際には、自分はそんなに脆くないけど。壊れたりなんかするわけもないけど。
それでも壊れるくらい強く抱かれてみるのも悪くない。
そう思ってしまったから。



日番谷は少し思案してから、苦笑の顔で言ったのだった。
「言葉だけもらっとく。…壊れたら、俺が困る」
「…ん。ふふ、ちょっとだけ残念」
腕の中で笑う雛森に、日番谷もようやく笑みを返した。
「そのうちな」
冗談めかした口調に、けれど雛森はもう、憤慨しなかった。
彼が本気だという事は、もう疑う余地もないから。












翌日、元気に出勤してきた雛森を見て、藍染は何かが一段落した事を知った。
このひと月の不調が嘘のよう、彼女は輝くような笑顔を取り戻していたから。
微かに笑うばかりの彼女には、藍染のみならず五番隊に密かな波紋を呼んでいた。
しかし、これでもう安心だろう。

「問題事は解消したのかな。なによりだね」
「隊長のおかげです。誤解が解けて…えへへへへ」
声をかけた藍染に、応える雛森の頬が紅く染まる。





頭を下げて持ち場へと移動する彼女を見送りながら、藍染はひとりごちた。
「仲直りはいいけど…進展にはまだ早いと僕は思うな。日番谷君には今度声をかけておこう」

過保護な彼女の上司はこの決意を実行に移し、
日番谷を赤面させる事になるのだが――――それはまた、別の話。











コメント あぁぁいろいろとすみません。とにかく必死でした。
もう少し進展してもよかったでしょうか?
日番谷くんがへたれている方が、書きやすいみたいです(^-^;
written:りーら
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◆この作品は、雪見月の創作品と対仕様となっています◆